統合失調症を発症した。そしてこの先どうなるのか、どうすればいいのかわからない・・・
そう思っている方、いらっしゃるかもしれません。
私もそうでした。統合失調症を発症して10年あまり。最初は知識なんてないし、
正直自分の身に何が起きているか理解できませんでした。
これはあくまで私の場合ですが、自分の本来の感情や気持ちがはっきりわからない。
感覚としては、何もかもが曖昧で、色んなことの実感というものがない。
しかし働けるようにならなければ・・・と自分の症状が良くなった実感があまりないまま、
一度仕事に就いて1年で体調を崩し、休職・退職。その期間を経て、回復した実感が持てるようになりました。
今回は私が10年以上、どのようにして統合失調症と付き合ってきたか、お話したいと思います。
目次
両親が離婚する

まず、中学時代に両親が離婚して、母子家庭になりました。
そんな時に母が就職したのが、住み込みの仕事でした。
そこは、子どもがたくさん集まる場所。なので、普通の住まいではありませんでした。
中学3年生の春から住み始めたのですが決して落ち着く環境ではなく、
精神的にかなりダメージを受けました。
それでも慣れては来て、仕方ないと割り切り普通に過ごしていました。
発症のきっかけは高校受験

高校受験の時期。
母は仕事がとてもきつかったようで、どんどん精神的に不安定になっていきました。
そして、私にかなり辛く当たるようになったのです。
私が家の手伝いをしないと文句を言い、受験する高校にもたくさん口を出してきました。
言うことがその時によって違いました。「○○高校はいい・ダメ」。
私もなるべく迷惑をかけたくない気持ちがありました。
なので自分の気持ちに添いたかったのですが、結局母に一番迷惑をかけないであろう
公立高校を受験し、合格しました。
でもその時はもう、私も自分の気持ちがよくわからなくて、精神的に参っていました。
そして、考えたら全然違ったのですが受かって嬉しいと演技をしました。
そのときの母の発言は「学費がかからなくて嬉しいわ」。
1ヶ月だけの高校生活

高校は、はっきり言って合いませんでした。
クラスメイトは反抗期真っ最中。私はほとんど大人に反抗したことがなかったので、
クラスで浮いてしまいます。
そして、対人恐怖に襲われました。
1ヶ月ほど経ち、体が言うことを聞かなくなり、行けなくなってしまいました。
その時母に初めて反抗心を抱いて、一度少し態度にしたのですが、
私の母は怒るとかなりヒステリックになります。
その恐怖のほうが勝ってしまい、それっきりしかできませんでした。
物に当たり散らしてしまう生活

自分でもどうしたらいいか分からず、感情が高ぶると物に当たってしまう生活が続きました。
その時の母の発言は「職場に聞こえるからやめて」。
私の気持ちを聞こうとはしませんでした。それ以前に言えませんでした。
そう言われると次は、自分の頭を物などで殴るようになりました。それも必死で止められました。
すると、どんどん感情を抑えるしかなくなり、かなりの我慢をするしかなくなりました。
その感覚は今も残っています。
考えがまとまらなくなった

すると考えすぎてしまったからか、以前は何かを結論づけることが早くできたのに、
どうやっても終わらない生活が続きました。
この時高校をどうするかも決めなきゃいけなかったし、
母にもいつも早くそうするように言われていたので、かなり困りました。
どうしてこうなってしまったのだろうと。
結局辞めることを選びます。しかし本当に納得して決められたかと言うとそうではありませんでした。
そして、結局自分の意思で精神科に行くことに決めました。
それができたのも高校を辞めてから1年以上経った頃のことでした。
たくさん眠らないと回復しない

ようやく母と一緒に精神科に行ってもらえることになり、薬を出されました。
それまでは生活が不規則で夜中に起きていたこともありました。
しかし薬を飲んだら夜から昼まで沢山眠るようになりました。
この時は知らなかったのですが、統合失調症は特に、症状が出ているときは薬を飲む。
そしてたくさん眠らないと回復しません。
母も知らなかったので、寝てばかりいることに文句を言われました。
一番覚えている言葉は、「一番楽しい時期なのに」。
私だってこんなに眠りたくはなかったのです。
感情がよくわからない

そんな生活をしていると、自分の感情がよくわからなくなりました。
多少その時によって差はあるものの、基本はぼやけているような感覚。
わけがわからず涙がこぼれるのもよくあることでした。
ただ、恐怖をひた隠しにしているのはわかりました。
しかし、母からはずっと働くように言われていました。
なので、自分の気持ちが完全に同意していないことはわかっていたのですが
「動かなければ」と焦り、習い事・精神科のデイケアに通います。
そしてその間に高卒認定試験に合格し通信制の大学に入学します。
仕事に就くが実感がない

そしてどこか虚しさを抱えたまま、客観的にはステップアップしていきます。
デイケアを卒業後、職業訓練に通い、仕事に就くことになりました。
しかし割合で言うと5~10%ぐらいしか、仕事をしている実感がありませんでした。
運良く自分でもできる方の仕事だったので、「行っているだけ」という感覚でした。
最初の給料日は正直、失礼ですが「ありえない」という気持ちでした。
「どうしてこれでお金が入るの?」と思いました。
そして「何かがおかしい」と感じていました。
しかし相変わらず感情がよくわからない状態でしたので、
その心の声がふっと出ては消える繰り返しだったのです。
ずっと見られている気がして落ち着かない

仕事中に、辛い。いえ、それを通り越してあまり感じなくなっていたことがありました。
それは「常に見られている感覚」。
落ち着いて仕事をするなんて言葉は、当時の私の辞書には載っていませんでした。
それが仕事で仕方がないしずっと変わらないと思っていました。
当時私はヘッドフォンをする、音楽制作の仕事をしていました。
しかし、その間に誰かが話している気がして、落ち着かない。
「幻聴」に近いものだと思います。
こんなことがありました。
作っている曲の同じ部分でいつも、ある人が「お疲れ様です」と言ったように聞こえる。
その度にヘッドフォンを外して確認するのですが、言っていない。いや、その人さえいない。
その「同じ部分で」と気がついたのもそれからだいぶ経った頃でした。
休職、退職

それから、職場のフロアが変わったのですが、初日にそれまでにない吐き気に襲われます。
そしてその後、主治医の先生に休職するように言われました。
それからは自宅で体調が悪い日々が続きます。
吐き気・手に力が入らない・頭痛・薬の副作用でよだれが止まらない。
ちゃんとは思い出せませんが耳の調子が悪い時もありました。
休職から1年近く経った頃、先生から退職するように言われます。
気持ちとしては嫌でした。仕事の実感も感じられてないし、まだあまり結果を残せていない・・・。
何より無職になってしまう。
納得はできませんでしたが職場にまた戻って来れると言われ、結局辞めてしまいました。
退職後も半年ぐらい調子が悪かったです。しかし、それからはだんだんと良くなっていきました。
恐怖の感情を抑えなくなったら回復し始めた

体調もなんとか良くなってきた頃。感情を感じるようになってきました。
すると考えてみたら職場内でおかしかったと思うこと、嫌だった気持ちに気がつきます。
戻ろうかどうしようか迷う日々が続きました。
そして、今度は主治医の先生とぶつかるようになりました。
いくつか言われて嫌だったことに気がついたのです。そして何かおかしいことも。
結局自分で転院する決意をしました。
その時紹介状に、その先生が理不尽なことを書いていたことを知りました。
お世話にはなったのですが・・・。
そして転院して少し経った頃。いつものようにひた隠しにしていた、「怖い」という感情が出てきました。
でもその時、「あれ?」と思ったんです。
この感情を抑えないようにしたらどうなるんだろうと。
するとしばらくして、安心できるようになったのです。
そして少しですが、曖昧だった部分もはっきりしてきたのです。
現在の私

考えた末、職場に戻ることはやめました。今度こそ私にとって本当の「退職」でした。
そして今こうして、ブログを書き、ネットでボカロPとして挑戦することに決めました。
正直、まだいろんなことが曖昧かな?と思うことはあります。でもそのあとすぐ気づきます。
「私、ちゃんと何かを感じてる」。
まとめ

ここまでお話したように、統合失調症になると以上のような症状に襲われることがあります。
発症したばかりの時はわからないことだらけで戸惑うかもしれません。
しかし、しっかり診察を受け、薬を飲めば回復に向かいます。
時間がかかる可能性はありますが、いろんなことがわかるようになります。
統合失調症を発症された方、これから長い道のりになるかもしれません。
しかし得られることは必ずあります。諦めてはいけません。
そして、焦ることはありません。今はそれでいいのです。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。


