外で話せないのはおかしいことじゃない。元場面緘黙症の私があなたに伝えたいこと

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家では普通に話せるのに、外では話せない。緊張して声が出ない。
そして周りのからの反応がとても辛い・・・。
過去・現在に経験がある方、いらっしゃるのではないでしょうか。
これは場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)と呼ばれるものです。
私も物心づいてから小学1年生の途中まで、場面緘黙症でした。
外や人の前で緊張して、言葉が詰まる。そしてタイミングを逃す。
というのを繰り返していました。
いじめに遭い、このままじゃいけない。なんとかしなきゃと思い始めました。
そして、それから徐々に話し始め、普通に喋れるようになりました。
そして今になって、気づいたことがたくさんあります。
今回は私が場面緘黙症になり、その後話せるようになった経緯。そして今思うことをお話したいと思います。

緘黙症になった原因と思われるもの

父がアルコール依存症だった

まず、私の父は私が生まれた頃からアルコール依存症でした。
お酒を飲まずにいられない。飲みたいがたために様々な口実を探す。
そんな感じでした。
そして酔うと毎回のように家や外で怒鳴る。それが日常茶飯事でした。
私の父の最初の記憶は、私たち家族に向かって怒鳴っていたこと。
そして母に抱かれて泣いていました。それから私にとって父は「怖い人」。
それから無意識に「人は怖い」という思い込みができた気がします。

母があまり手をかけてくれなかった

私の母は、一見すごく私を可愛がってくれました。それは感謝しています。
しかしはっきり言って、それだけでした。
本当に困ったときに、手を貸してくれた記憶があまりありません。
私がそれを忘れているだけかもしれません。
しかし何かあるとパニックになりとても怖くなる。
母がどんな気持ちだったのか、気がつかなかったのかはわかりませんが、
幼い頃から「全部自分で何とかしなさい」と突き放されている感じがしました。
そんな記憶・感覚が未だに残っています。
積極的に外に連れて行ってもらって、他の子と交流する。なんていう経験も少なかったです。
たまに行ってもあまり親しくない子の中に放り出され、ただ「遊んできなさい」と言われました。
どうしたらいいかわからなくて困ったのを覚えています。
家で一人で遊ぶか、姉たちに相手をしてもらう。そんなことばかりだった気がします。

姉たちの反応が過剰すぎた

これは未だに上手く説明ができないのですが・・・トラウマになっています。
2人の姉たちにも確かに可愛がってもらったのですが、やってほしくない・自分でしたいことを
「善意」だと押し付けのような感じでされてしまった記憶があります。
また、私のやることに対して過剰に反応してくるのです。
覚えているのが、初めて一人でおつかいに行ったこと。
それがたまたま学校帰りの姉とその友達に見つかり、私がレジでお会計をしてるところを
お店の窓越しに興味本位でジロジロ見られたのです。こちらからは丸見えで、失敗したと思いました。
私の小さな言動で、違うふうに大ごとになっていく。それが嫌で仕方がありませんでした。
しかし姉たちの私を思う気持ちも十分理解できていたので、我慢して、できないときは爆発して。
その後罪悪感に駆られて苦しくなりました。

笑われるのが辛くて、本当の自分を出せなかった

幼児期はあるかもしれませんが、真剣に言ったことを笑われる。私はこれがすごく辛かったです。
そして、だんだん自分なりの言葉を発せなくなりました。
誰も私の話を真剣に聞いてくれないんじゃないかと思い、できなくなりました。
先にも書いたとおり困ってパニックになってしまう。そして少し言うと大ごとになってしまう。
そんな恐怖から本当の自分を隠すようになりました
話すことで「自分はおかしい」と決定づけた出来事がありました。
3歳ぐらいの時、家で飼っていたハムスターが行方不明になってしまったのです。
ベランダにケージを置いていたので、なぜかはっと
「○○さんの家のベランダまで行って、下に落ちてるんじゃないか」と思ったんです。
こんなことを言ったらおかしいと思われるんじゃないか・・・でも言わないと・・・と
ずいぶん葛藤しました。
結局話したら、驚かれました。それが当たっていたからです。
それから私は「予言者」と呼ばれるようになりました。
そして「私はおかしい。話しても失敗する」と思うようになりました。

外で話せなかった

自覚したのは幼稚園入園の時

初めて自分が外で話せないと自覚したのは、入園前に幼稚園に行った時でした。
たくさんの子が集まり、一人ずつ名前を呼ばれました。
そして私の名前が呼ばれ、答えるつもりだったのに言葉に詰まってしまいます
タイミングを失い、小さく手を挙げました。
前にいた子達がこちらを向いたのを覚えています。
それからがんばった時もあったのですが、ほとんど話せませんでした。
園長先生の勧めで、センターに通いました。しかしあまり記憶がありません。

自分のことを話せない

その後なんとなく気がついたのが、主に自分の話ができないということです。
幼稚園を卒園し、小学校に入学する前のこと。
学校に行ったのですが、先生が一人一人に「お名前は?」と聞いていたのです。
答えられませんでした。
今思うと、家であまり自分の気持ちを話したことがなかったのです。
するのは当たりさわりのない話ばかり。先に書きましたが、自分を隠していたので、
外でいざ自分の話をしようとするとできなかったのです。

いじめが始まる

小学校に入学して、いじめて来る子が現れました。
私が言い返せないことをいいことに、悪いテストの点数を覗いて皆の前で言う。
やりたくない係を押し付けられることもありました。
なんとか母に話したこともあるのですが、理解してもらえませんでした。
私に良く接してくれる子もいて、楽しい時もありました。
でもその後は嫌なことがありました。
例えば、学校で大好きな子と一緒に楽しく花を摘んだあとのこと。
下校時間、ある子が勝手に「こんなのいらないでしょ」と捨てて、すぐ帰ってしまいました。
そのあと私は泣いて、先生がどうしたのか聞くのですが、誰も状況を見ていないし、うまく話せない。
その子は私のことを分かっているように話すので、周りはいつもそれを信じていました。

どうして話せるようになったか

いじめっ子に言い返さなければと思ったから

相変わらずいろいろ嫌な事を言われ続けていました。でも状況は変わらないので、限界が来ました。
上手いことは言えなかったのですが、少しずつ言い返すようになったのです。
さらに言い返されることが多かったですが、意地を張りました。
そんなことをしているうちになぜか、何年もいじめっ子と仲がいいと誤解されることになりましたが・・・。
肝心なことは言えませんでした。しかし話せるようにはなってきたのです

優しい友達がいたから

こんな私ですが、優しく接してくれる子もたくさんいました。それは感謝しています。
自覚はあまりないですが、もしかしたら大きなことだったかもしれません。
きっかけはいじめられたことからでしたが、
優しい子達がいなかったら自分を否定したまま話せなかったかもしれません

本当はこうして欲しかった

今更なんですが・・・どうして欲しかったか私なりに語らせていただきます。

人は怖くないと教えて欲しかった

まず、ずっと人は怖いと思っていました。今もそれが少し残っています。
そのため、話せませんでした。
記憶・自覚がある・ないにせよ、緘黙症になるということは「怖い」という気持ちがあるはずです
のちに心理学を勉強して知りましたが、人は最初家庭で人間関係を知って、外につなげるのです。
つまり家庭環境で安心できるから、外でもそうなれる。
私は考えたら生まれた時からそんな環境にはいなかったのだと思います。
それが、あとになってどんどん影響していくのですね。
しかし、もちろん気づいて、自分の意思で変えることは可能ですよ。

私は一人の立派な人間だと認めて欲しかった

私は末っ子でした。ゆえに、家族で一番下の立場だという思い込みが強かったです。
そのため、「私の存在は大事にされるものじゃない」と思っていました
今ならわかるのですが、人間に上も下もありません。誰だって平等なのです。
もしあなたが、自分は存在に値しないと思っていたらそれは間違いです。
自分に都合良く考える人が、あなたにそう思い込ませただけなのです。

本当の私を理解して欲しかった

私は未だに本当の自分を出すのが怖いです。経験が少ないからです。
はっきり言って誰もいない時が一番落ち着きます。
基本人がいるとびくびくします。でも結局は慣れなのですね。
でも、人は誰でも価値があると気がついた今、少しずつ努力しているところです。
以前よりは家族にも私を理解してもらえていると思います。
でも衝突もあるので、割合は減ったかもしれませんが怖さは残っています。

外で話せないあなたへ

最後に現在外で話せないあなたに、伝えたいことがあります。

あなたは決しておかしくない

一番言いたいことです。誰かに何か言われてるかもしれませんが、あなたは少しもおかしくありません。
はっきり言ってあなたに原因は何もありません。そして、話せないことは悪いことではありません
もし伝えたいなら、声に出して話さなくても、いくらでも方法はあります。
「自分が悪い」、そういう問題ではないのです。そう思えば思うほど苦しいはずなのです。
話したくてももっと話せなくなってしまうのではないでしょうか。

無理して話さなくていい

誰だって自分の意志が一番大事です。
話したくない・怖いならそれを重視してください。焦らないことです。
そして、あなたの人生です。
すぐには変えられないかもしれませんが、それを大切にすれば必ず変わる時が来ます。

ボディーランゲージや筆談、小さな声でも伝わる

私は話せない時、手を挙げて答えたり、視力検査では指で方向を教えていました。
どうしても言葉を言うのが必要な時は、話せる子にこそこそと話して、伝えてもらっていました。
話すことだけがコミュニケーションの手段ではありません。
書く、もしくは手話という手もあります。表情を変えるだけだって伝わるのです。
まずは自分のできることから。それでいいのです。
だってあなたは十分存在に値しているのですから。

自分を好きになろう

難しいかもしれませんが、小さくても少しでも、自分を好きになってあげてください
自分も立派な人間なんだと理解するのです。いらない人は一人もいません。
話せなくたって構いません。あなたが存在するだけで嬉しい人はたくさんいるのです。
どうか、自分を否定するのだけはやめてください。
だったら、どうして温かい人がたくさんいる世界に生まれてきたのでしょうか

まとめ

ここまで述べたように、場面緘黙症は決しておかしいことではありません。
それがある・ないにかかわらず誰にだって価値はあるし、あなたも私もそうです。
場面緘黙症を経験されている方、あなたは自分を認め、好きなように生きてください。
道は開けます。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。